MIYABARA Mika - 映画 Archive
映画「トイレット」に出てくる猫の名前はセンセーです。
私はそれがとても気に入り一緒に暮らしている猫に「センセー相談があります。」と正座して話をする妄想を楽しんでいます。やっぱり猫なので、ふんとそっぽを向いてしまうのですが。
猫の名前を考える妄想は、どんな暮らしをしたいかという妄想と直結しています。朝は猫に「ごはんちょーだい」と起こされ、夜は猫を撫でながら一緒に寝る。この妄想だけは細かなディティールで語れるのですが、猫好き以外には迷惑な話なのでやめておきます。名前は今のところ「テラ」という名前が一番有力なのですが、「センセー」と暮らすのも楽しそうです。
トイレットには日本語が「センセー」と「ばーちゃん」しか出てきません。しかもばーちゃん(もたいまさこ)のセリフはふた言だけです。言語の違う、祖母と孫が静かにコミュニケーションをはかってゆくという物語です。映画を見ながら、なんで本や電子辞書やネットを使わないのかと苛立ちました。しかしそれでは人の気持ちには辿りつきません。便利な道具を使って意思の疎通がはかれたと思うことは簡単ですが、でも相手に触れたと感じることができるかとは別問題です。
ゆっくりとしていて、腰の座った世界の捉え方をするには、何をどうしたらいいのでしょうか。
身体知(内田 樹, 三砂 ちづる)をやっと読むことができました。対談なので軽く読むことができます。少し前まで年寄りたちがあたりまえに大切にしてきたことが語られている本です。あたりまえというのはとても難しいものです。
二ヶ月前から言語よりもっと深いところで探し求めていることの助けになる本でした。でもこれは5年前に読んでいたら理解できなかっただろうな。その前なら怒っていただろうな。(笑)
出会うべきものに出会う時期に出会うということでしょうか。
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